戦艦 大和




戦艦「大和」は,昭和16(1941)年12月,呉海軍工廠(海軍直轄の工場)で,当時の最先端技術の集大成でありながら極秘裏に建造された世界最大の戦艦です。

しかし昭和20(1945)年4月7日,沖縄特攻作戦に向かう途上,米艦載機の攻撃を受け沈没,乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。

しかし,戦艦「大和」建造の技術は生き続け,世界一の大型タンカー建造だけにとどまらず,自動車や家電品の生産など幅広い分野で応用され,戦後の日本の復興を支えてきました。

10分の1戦艦「大和」は,平和の大切さや科学技術の素晴らしさを後世に語り継いでいます


十分の1の戦艦大和・・・全長/・26m強 カタパルト・・・機を艦上から発射する為の火薬発射式カタパルト
このカタパルトは国産で、高性能を誇り、海軍で最も成功したタイプ。この技術は後に新幹線の台車部分に応用され、高速走行時の揺れを和らげる走りを生み出した。


球状艦首(パルバスパウ)・・巨大な排水量に比べて全長が短く、幅が大きかった大和は、艦首の水線下に球状の突起をつけることで速力27ノットで造波抵抗を8%以上減らした
現在この球状艦首は大型タンカー50万トン級に幅広く利用されています。
大和の主砲は重さ約1.5トンの砲弾を40秒毎に一発発射出来ました。砲塔一基の重量2779トンは、駆逐艦一隻に匹敵します。
これ等に使用された技術は現在も、大型船や原子炉圧力容器の漏れを
調査する水圧試験などに利用されています


人形から見て周りの火気類の大きさが良く判る。高いところへはエレベーターも付いていた。 庭部から港に面したデッキ。戦艦大和と同じ寸法の上甲板を模していて、主砲塔やその他装備の置かれた位置が描かれている
        画像はネットより


昭和18年6月8日12:10、柱島泊地の繋留中の「陸奥」は、第三砲塔付近から突然白煙を吹き上げ謎の沈没をした。
27年後にひきあげられた主舵である。
其の時のスクリュー。艦内には1474人の乗組員が居たが助け出されたのは
353名・・1121名が艦と運命を共にした。

戦艦大和の最期


昭和20年4月7日・・14時23分大爆発で沈没    北緯30度22分、東経128度4分   画像はネットより

大和は米軍航空隊336機による往復波状攻撃を受けた


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大和の正式な名称は・・・『軍艦大和』 です。

米軍偵察機 (F-13) により上空から撮影された出撃直後の大和の写真が2006年7月米国にて発見された


映画『男達の大和』の実大ロケセッ  



画像は『とんぺい様』 より拝借


セットとして完成状態で、艦橋部は司令塔までで、映画ではその上はCGで補ったそうです